2009/09/29

黄金町バザール2009

違法飲食店だった建築
一階に小さなカウンターがあり
右側の細い階段を上がり
二階は、4畳半ぐらいの部屋が2部屋ある
その部屋で、風俗営業がされていたと思われる。
AスタジオHINODE外観

AスタジオHINODE 三階
作品なのですが、穴の中に入れる仕組みになっています。
発砲スチロールの穴です。

発砲スチロールの穴の先は…
大きな目になっていて、隣の家の屋根が見える。
出た後は、発砲スチロールの粉が全身に付き
大変なことになってしまった。

日ノ出スタジオ
設計は飯田善彦氏です。

日ノ出スタジオ
階段を上がった通路のレベルが低いため
一階の部屋に、通路が入りこんでいます
空間的には、面白かったです。

黄金スタジオ
設計はみかんぐみの曽我部氏と神奈川大学曽我部研究室とマチデザインです。


黄金スタジオ
中は縁側が広がったような感覚です。
駄菓子やとかやりたくなってきます。

黄金スタジオ
休憩スペースです。
黄金町バザール2009の最終日に行ってきました。
黄金町は、昔は麻薬などの密売などが行なわれたり、違法風俗店が立ち並んでいたところです。
警察が一斉摘発をし、空き家が立ち並んでいました。
黄金町バザール2009は、そのような空き家などを、リノベーションなどをして
アートで安全で安心な街造りをするという試みです。
最終日で、終わる時間に近かったせいか
片付けている所もあり、少しがっかり…
全体的に、ラフに見れる感じでした。
昔の町の雰囲気も見れる所もあったりして、そこは面白かったです。


黄金町とは(Wikipediaより)
元々は久良岐郡太田村の内で、1869年に黄金町が起立した。哲学書『淮南子』(えなんじ)の「清水有黄金金龍淵有玉英」の一節から町名を採ったとされる。1930年に湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)の黄金町駅が開業。
京浜急行電鉄(以下京急線)黄金町駅付近一帯は1945年横浜大空襲で壊滅し、戦後は ヒロポン麻薬の密売所と非合法の特殊飲食店街(いわゆる青線地帯)に様変わりした。特に昭和20年代は、京急線の高架と平行する大岡川を境界に密売組織による縄張り争いが頻発した。警察官の巡回すら身の危険を感じて出来ない程荒んだ環境であったという。
ちょんの間」と呼ばれる黄金町の特殊飲食店街は1958年売春防止法施行後も相当な規模で存在し続けた。2000年頃までは京急線の高架下とその周辺で、高架下から排除された後も高架の周辺でおよそ250店の規模で賑わっていた。娼婦が店頭で客を引き、客は1万円程度の対価を払い、一畳~三畳ほどの狭い部屋で売春行為を行った。娼婦の多くは中国東南アジア中米出身で、町田の「たんぼ」と同じく、外人が主体であることが特徴である。
関東一の規模で人気を誇った黄金町のちょんの間であったが、2009年の「横浜開港150周年」に向けて街のイメージアップを図るため、2005年1月11日より、「バイバイ作戦」と名づけられた警察による集中的な摘発がはじまった。この結果同年8月までに全店が閉店した。
一部残存しているとされる店が売春防止法違反で摘発される事件が散発的に報道されているが、2007年6月現在、神奈川県警による派出所の常駐とパトロールが行われており、堂々と売春行為を周旋する飲食店は事実上皆無となっている。飲食店家屋の取り壊しや新築マンションの建設工事が相次ぐ一方、2007年中頃から、「ちょんの間」と呼ばれた飲食店家屋を改装の上店舗として利用した、若者向けのバーカフェ等通常の業態の飲食店が開店し始めている。
黄金町エリアマネジメント HP

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